★トヨタ自動車 VS 住友銀行&川崎製鉄 その@ 倒産危機前夜



1950年以来のトヨタ自動車の赤字というトヨタショック

そして14年ぶりに豊田家・創業家から社長が就任予定の報道。

思い出したのは、トヨタに勤めてた叔父が、

「トヨタも昔はあわや倒産という危ない時代もあったんだよ。潰れる一歩手前。お付合いを断られた会社もあった」

と、言ってたこと。

それが1950年

そしてこの時こそが、トヨタ自動車の『友好の関係』と【憎悪の関係】の始まりだったのです。

今回は【トヨタ自動車】【住友銀行&川崎製鉄】 バトル前夜まで書きます。


トヨタ自動車が誕生するまでの歴史を簡単に見ていきましょう。


1890(明治23) 年、豊田佐吉は「豊田式木製人力織機」を発明し、次々と織機の自動化を図ります。

織機(しょっき、おりき)とは、糸を使って布を織る機械のことです。

トヨタは最初、機織機メーカーとしてスタートしたのです。

佐吉は1902(明治35)年に豊田商会を設立し、「豊田式汽力織機」の生産を開始します。

これが瞬く間に好評となり、フル生産体制が続きます。

1926年にはトヨタ自動車の原点となる、株式会社豊田自動織機製作所(社長豊田佐吉)が設立されます。

この自動織機の技術を自動車に応用できないかと、佐吉の息子である喜一郎は欧米に自動車事情を視察に行き、

さらに小型ガソリンエンジンの研究をスタートします。

そして1933(昭和8)年、豊田自動織機製作所は取締役会で自動車事業進出を決議し自動車部を設立、

翌年には自動車試作工場が完成、1935年に自動車製造を開始。

1936(昭和11)年には量産型であるトヨタAA型自動車とGA型トラックの生産を開始

1937年に独立した新会社「トヨタ自動車工業株式会社」(初代社長豊田利三郎・喜一郎の腹違いの妹の夫)が設立された。

自動車を本格的に量産する工場として、挙母(ころも)町に挙母工場を完成させます。

会社の命名に当たっては説が2つ程あります。

本来なら姓の「トヨダ」だが、「会社は個人のものではない、社会のものである」との考えから、

また、「トヨダ」の画数は10だが、濁点を取って8画にし縁起をかついだとも言われています。

今でこそ豊田市ですが、当時は西加茂郡挙母町。

1951年、挙母(ころも)市。

1959年、豊田市となるのです。


こうしてトヨタ自動車はスタートを切ったのです。

しかし、トヨタは最初から順風満帆だったわけではありません。

1937(昭和12)年当時、日本で車を製造していたのはトヨタの他にダットサンオータというメーカーがありました。

当時の自動車価格は2000円弱、この値段は都内に庭付き一戸建ての家と同じ価格。

つまり、車を買えるということはすごいことだったのです。

しかし、高価なものにもかかわらず、

当時生産を開始めたばかりのトヨタの自動車は故障があまりに多発した為、

当然評判は悪く、日本では二流三流のメーカーだったのです。

その後、トヨタ自動車には倒産の危機がやってきます。。

終戦の4年後、1949(昭和24)年の年末、販売不振と売掛金の回収遅延から、

2億円の決済資金の手当てがつかなければ、あわや倒産という事態に陥ってしまったのです。


※今回はここまで、次回はいよいよバトルです。


★トヨタ自動車 VS 住友銀行&川崎製鉄 バトル そのA







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