★トヨタ自動車 VS 住友銀行&川崎製鉄 バトル そのB 終焉

★【トヨタ自動車】と【住友銀行&川崎製鉄】 バトルと終焉

1950年の破綻危機を乗り切ったトヨタ自動車。

挙母(ころも)工場のあった挙母市も、

読みにくい、また、「車の町」として自動車産業と共に生きていくということで「豊田市」と市名変更。

また、トヨタ自動車販売株式会社は各県毎に車種ごとの販売店を設立するというトヨタ方式を採用。

これは他のメーカーも真似するこことなる。

倒産危機以降、朝鮮戦争勃発による特需景気、高度成長とも重なり皆さんがご存知の世界のトヨタへと発展する。

しかし、三代目社長石田退三(後の会長)は取引を解消(融資を断った)した住友銀行に対しては終世取引再開を拒み続けました。

また、支払い猶予の協力もしなかった川崎製鉄との取引も拒んだのです。

住友銀行は名古屋を含め東海地域では”いざという時頼りにならない住銀”との評判が浸透し、この地域では苦戦する要因となった。

一方、さくら銀行(三井銀行)は豊田市に支店を設けるまでに至ったのです。





時は流れ1965年、トヨタ自動車は再び住友銀行と対峙することになるのです。

これは当時業界6位のプリンス自動車の経営危機に際しての救済問題に絡んで。

プリンス自動車のメインバンクは住友銀行住銀堀田庄三頭取小川邦彦専務をプリンス自動車社長に派遣。

そしてトヨタ自動車との合併救済取引再開を画策したのです。

堀田と小川、どこかででてきた名前です。

そうです、石田退三氏らに、

「機屋(はたや)に貸せても、鍛冶屋には貸せない」
と言い放った人たちです。

救済依頼に対し、当時会長職となった石田退三氏は、

「鍛冶屋の私どもでは不都合でしょうから」
と言い、これを拒絶したのです。

この結果、プリンス自動車は日産自動車に吸収されました。



この勢いのあるトヨタをしてどうにもならなかったことがあります。

それは、バブル崩壊後の業界再編

住友銀行はさくら銀行(三井)と合併し三井住友銀行に。

川崎製鉄は豊田の取引先の日本鋼管と合併しJFEとなる。

トヨタとしてははらわたが煮えくりかえる思いであったろうが、これも時の流れ。

住友銀行と川崎製鉄出身の役員がトヨタ担当役員になれるかは疑問であるが、

とりあえずバトルの終焉をむかえたといえるのでしょう。


ここで三井、住友と言えば三大財閥系の残り三菱ですが、

三菱銀行はどうだったのでしょうか?

調べてみました。

倒産危機の時、再建案に非常に消極的だったらしのです。

最終的には再建案に同調するのですが、

これがたたってか、三菱銀行(東京三菱銀行)とトヨタ自動車は、

海外の資金調達や決済等の限られた取引に限定されていたのです。

この関係も東海銀行(⇒UFJ)との合併で収束していくのです。


さて、トヨタ自動車も2009年には新しい社長になります。

実質創業者・喜一郎氏の孫で、三井家の血を引く豊田章男氏。


ここに三井家の壮大な野望が叶った?のかどうか・・・

少なくとも三井家は大きなものを手にしたのである。



※このシリーズ3回に渡り、お付合いありがとうございました。


シリーズ追記:★トヨタ自動車VS銀行団 現在  しました。

★トヨタ自動車 VS 住友銀行&川崎製鉄 その@ 倒産危機前夜

★トヨタ自動車 VS 住友銀行&川崎製鉄 バトル そのA

★トヨタ自動車VS銀行団 現在
posted by shizuka | Comment(3) | TrackBack(0) | 雑学・ええ”〜 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちわ!ちょっと立ち寄らせてもらいました。
よければ、こちらも、遊び来てね(*^_^*)
  
Posted by かな at 2009年01月22日 14:34
こちらこそご訪問ありがとうございました。

私も遊びに行かせていただきます。
Posted by at 2009年01月23日 16:09
勉強になりました
Posted by 通りすがり at 2014年03月23日 21:59
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